陽明学園-遺跡

○遺跡
陽明館学園の地下には巨大な「遺跡」が存在する。一体誰が作り上げたのかは不明。「遺跡」は強大な悪魔を封じ込めるためのものであり稼働には竜脈のエネルギーの他、人間の精気を必要とする。
 陽明館学園はこの巨大で非常識な「遺跡」を一般の目から隠し、かつ多数の精気あふれる人間を集めるための施設である。また、どのくらいの階層があるのかは未定。というか「遺跡の完全な攻略」はまた別の物語。あくまでもこの設定は「メガテン学園もの設定」という終らない物語の舞台を作成するためのものである。
 
○「遺跡」の構造
「遺跡」は地下奥深くまで延びる巨大な二本の塔(それぞれ「阿」「云」と呼称される)であり、その入り口はそれぞれ旧校舎、新校舎の地下に存在している。
 遺跡は「阿」「云」交互に16年周期で活動と休止を繰り返しており、16年以内に活動を休止した遺跡を、再稼動可能な状態にまで攻略することがPC達の役目である。
 
○「王」と「遺跡」
 「遺跡」によって封じられている悪魔は「王」と呼称されている。「王」に関して明確にわかっている事は以下の程度である。
 
a.極めて高レベルの悪魔(最低でも80以上)であり、遺跡の機能によって休眠状態にある。
b.高度な知性を持つ、きわめて高位の神格を持つ。
c.多数の神性(神としての機能、性質)を持つ神格である。
d.一般的な人間の味方ではない。
e.「王」は遺跡によって封印されている現在でもなお地上への干渉をやめていない。その一つが「遺跡への侵触」である。
f.直接その意識にふれると高位の覚醒を行った人間は精神汚染を受けるおそれがある。
 
○「遺跡への侵触」
「王」は自分を封印している「遺跡」を侵触し、機能を停止させようとしている。王からの侵触は遺跡の内部でダンジョンや悪魔という形で発現する。この侵触の影響を浄化し、「王」の封印を維持するのがPC達「防人」の役目であり、これはダンジョンの踏破、攻略という形によってなされる。
 
○「ダンジョンの発現」
 遺跡に発現するダンジョンには常に一定の法則性が存在する。現実に存在する何らかの事件や神話をモチーフにし、それを再現するようなギミックや悪魔が配置されるのだ。
 そのダンジョンを踏破し、「王の臣下」と呼ばれる悪魔を倒すことによってそのダンジョンは攻略(浄化)される。つまり「王の臣下」が実質上のシナリオボスとなる。
 なぜダンジョンがこの様な形態で発現されるかは、近隣の人間の知識や精神などの精神世界を反映しているという説が有力である。証拠として伝承や記録によれば記紀神話や仏教説話、土着信仰に基づいた発現がなされていたダンジョンや内部の悪魔が、明治を境に外来の天使や悪魔などに大幅に変貌したことがあげられる。現在ではゲームやインターネットによる情報氾濫によってダンジョンはさらに多様に変化し、防人たちを悩ませている。
 
○「王の臣下」
 「王の臣下」は常に遺跡の内部において門を守っているため、学園に出現する事はない。また他の悪魔も日中に活動する事はほぼない。
これは王が「夜」に関連する神格であるためとも、日中は遺跡の機能が高いためとも言われている。
 
○「新階層の開放」
 ダンジョンは攻略されても即座に次の階層に進めるわけではない。階層を隔てる「門」が開放される為には1~3日程度の時間を要する。これは「遺跡」のセキュリティ機能のためであると推測されている。
 開放され最上層となったダンジョンは、地上へと影響を発揮し始める。

○遺跡の歴史
「遺跡」の起源は明らかになっていない。
 
この「遺跡」が歴史に現れたのは江戸時代初期、宗門改めによるに調査によってである。
それまで名もなき山間の村として密かに遺跡を管理し「人柱」をたてて精気をまかなっていたが、当時の宗門改め方であった室道陽明らの調査により遺跡の存在が発見され、同時に精気を多数の人間で少しずつまかなうことが可能であることが判明。
調査により遺跡の重要性を認めた江戸幕府はこの村を「陽明郷」と名付け、その一帯を天領として召し上げると同時に、幕府主導のもとに馬場の設置や開墾などの開発を行い、多数の人間を住まわせることを可能にした。
 明治時代に入ると、「陽明郷」と「遺跡」は明治政府の管轄下に入る。ここに明治政府が設立した高等軍事学校が現在の陽明館学園の原型である。